今回は
お洒落はしたいけど・・・これからお洒落にちゃんと向き合ってみよう!
という人に向けて
「まずは歴史を知る」そこから始めたいと思います。
男性って、どちらかというとメンズファッションの歴史など、知識がある程度頭に入ってからでないと、その重い腰をあげられない人が多いので、まずはスーツの歴史から知っておいて欲しいと思います。
身嗜みの大切さはわかっているけど、行動に出れない要因って誰でもあるのですが、知らないことやモノと直面した時、人はまず
「怪しい」「本当かよ」「俺には必要ない」
などと疑ったり、拒否するために正当化する理由を探し始めます。
一種の防衛本能が働くのは誰でも一緒です。
ですので、解っていても、知らないジャンルであるメンズファッションの話になると
その必要性を疑って掛かってしまう傾向があるのです。
つまりは
身嗜みを後回しにする理由探しを始めてしまうわけです。
まずは
男性が興味を持ちやすいスーツの歴史について、情報を頭の片隅に
インプットして欲しいと思います。
スーツの歴史を知る
スーツって何?
共布(ともぎれ)で仕立てたものを言います。
古くは制服、仕着せなどをさして言いましたが,現在では上衣と下衣とが共布で一対になったものを指します。
そして折襟やテーラードカラーと呼ばれる襟を持ち、着丈が腰丈のもの。そして、この上着と共布のスラックスからなり、ウエストコートやベスト、ジレと呼ばれるチョッキを加えるものもあります。
ただ
良く言われるのはスーツの上着でも、ジャケットと良く呼びますが、色々なジャケットがあるので、「テーラードジャケット」と区別されることが多いです。
そして
そのジャケットですが、一般にボタンが金属ボタンだと「ブレザー」と呼ばれますし
乗馬用は「ハッキングジャケット」
狩猟用は「シューティングジャケット」
など、用途によって形状が変わってくるので呼び名が変わってきますし、スーツの起源として「ノーフォークジャケット」が挙げられることもあるので、覚えておきましょう。
それぞれの詳細は「ジャケット・パンツ(基礎編)」の回でお話しします。
スーツの起源は15、16世紀ヨーロッパのフロックコートだと言われています。
農民の農作業着として、また軍人の軍服や貴族のコートとして、機能は全く異なるものの、幅広く用いられてきた当時スタンダードな形でした。
18世紀を過ぎた頃から、朝の散歩用に歩きやすく前裾を大胆にカットしたモーニングコートや、乗馬に適した形に改良された燕尾服(テールコート)がイギリスで登場します。
これらは貴族が朝の日課である乗馬の後、そのまま宮廷に上がれるようにとのことから礼服化したと言われています。現在でも正礼服としてその役割を果たしていますよね。
現在、燕尾服といえば皇族の結婚式や舞踏会、クラシックコンサートや社交ダンス大会、勲章授与式典など、大変格調高い特別な場所でのみ見られるもので、ほとんど一般の男性が袖を通すことはないでしょう。日本だと結婚式くらいかもしれませんよね。
因みに「ホワイト・タイ」というドレスコード指定がある場合はこの燕尾服を指します。覚えておいてください。
フロックコートもモーニングも燕尾服も、これらは主に、屋外着用を目的としたものでした。やがて、屋内でくつろげるような室内着として、裾の部分をカットした、現在のジャケットスタイルが登場します。これは「スモーキングジャケット」と呼ばれ、後にタキシードと呼ばれるようになります。
因みに燕尾服が「ホワイト・タイ なのに対し、ドレスコードに「ブラックタイ」とあればタキシードを指します。これは聞いたことある人多いと思います。
実際、スーツの起源・歴史には諸説あり、上記のように英国貴族に由来するものから、軍服からの派生とされるものもあります。
例えば軍服の詰襟をたおし、くつろいだ形が現在のスーツの襟の形で、更にそれに伴いボタンの数が5、4、3と減らされ今のスーツジャケットに至るとされている説もあります。
いずれにせよ
スーツの発祥地は?
1864年の英国皇太子の妻アレクサンドラ姫に長男が生まれた。その弟は後のジョージ5世です。その時に着ていたのが、スーツの原型といわれる、初期のラウンジスーツ。ジャケット・パンツ・ベストも揃った生地で仕立てられています。この説を覚えていけば問題ないでしょう。
英国がそもそも発祥の地であることはみなさんご承知ですよね。
スーツの始まりは?
中世はチュニック(貫頭衣)やシュールコー(丈の長い上着。元は鎧の上に着る衣装)が男性用の服だった。女性はスカート丈が長く、男性はチュニックの下にタイツを履いている画像を良く見ますよね。男女とも大きな差がなく、ズボンはまだ誕生していないのが特徴です。(中世の時代)
ルネサンス期になると、ダブレット(丈の短い上着。キルティング地)とホウズ(半ズボン。のちのブリーチーズ)が流行しました。その上にマントを羽織ると、正装になってきます。(15世期〜17世記半ば)
1666年、放縦だった衣服を改めるため、チャールズ二世が「衣服改革宣言」を出しました。
ヴェスト(ウエストコート・黒い司祭服のような上着)と、上に羽織るコート、たっぷりフリルのついた白いシャツ、半ズボン(ブリーチーズ)、タイという組み合わせが定着します。
貴族たちに倹約を求めるも、ヴェストの裏は派手な刺繍がたっぷりと施されたシルクであった。ルイ14世は宝石をふんだんにちりばめ、見えない内側でおしゃれをするのが流行しました。
シルクブロケード(金襴緞子)かベルベッド生地のコート、ヴェスト、半ズボン、シルクストッキング、パンプス、クラヴァット(タイ)の組み合わせ。白いカツラは、やがて横カールとポニーテルのカツラになりました。屋外では三角帽を被ります。そしてその流れはフランス革命までのおよそ百年間、流行します。(18世紀ごろ)
1750年以降、古代ギリシアの彫刻が発掘されたことで、新古典主義がブームになり、古代ギリシアの英雄たちの肉体美を目指すように、男性服も変化してきます。
この時代、忘れてはいけない人物の一人が
「ジョージ・ブライアン・ブランメル」です。
摂政時代(リージェンシー)のファッションを作った、ダンディ。フロックと、スーツの基本である、黒を取り入れたのも彼です。メンズファッションの世界では、彼を抜きにしては話が途中で止まってしまいます。それほど男性ファッションを世界に普及させたと思っていても良いと思います。のちのジョージ四世と親しかったが、毒舌がすぎて遠ざけられてしまう。若い時は洒落者として一世を風靡するほどだったものの、見栄のために借金がかさみ、晩年は困窮したそうです。
フランス革命(1789年)後、男性ファッションは、がらりと変わります。カツラと半ズボンとストッキングが無くなり、長ズボンとブーツへ変化していきます。華美さがなくなり、シンプルになっていくわけですが、もっとも大きく変わったのは、ぴったりとした白い長ズボン(パンタルーン・トラウザーズ)とブーツです。この時から、スーツは長ズボンが主流になります。ここでやっと今の原型が出来上がって来るわけです。上着はカントリー・フロック(イングランドの田舎領主が着ていた服)がモチーフになる。前裾を切り落とし、後ろが長いのがこの時代の特徴です。(18世紀末〜1820年代)
ファッション性の高かった摂政時代の反動から一転し、着心地の良いスーツを人は求めるようになります。洒落者ダンディから堅実なジェントルマン流へ変わった時代でもあります。上着の前裾が長くなり、ズボンの裾幅が広がり、その頃から、紳士に欠かせない小物(手袋、ステッキ、カフスボタン、ネクタイ、カラー)等が充実してきます。
スーツの色が地味で、画一的なデザインの代わりに、紳士は小物でさりげなくお洒落を演出したのです。これは今の着こなしに使える考え方です。
いっぽう紳士服の既成品が始まったことで、中流階級から労働者階級にまでスーツが普及するようになってきます。大衆がスーツを着るようになり、やがてイギリスから植民地はじめ、世界中へ黒いスーツが広まっていった。
日本に入ってきたのは、1860年代です。
ヴィクトリア朝末期から主流になったラウンジ・スーツ
元はフロック・コートやモーニング・コートの長い裾を切り落とし、ゆったりとしたズボンで気楽に過ごせる普段着でした。
20世紀に入るころには、フロック・コートやモーニング・コートよりも、ラウンジ・スーツを着用する者が増え、現代のスーツの原型になります。
大きな違いは、すべて同じ布で縫製されていること。ディトーズ(三つ揃え)とも呼ばれていました。(これは別に記憶する必要はないです)
現代人の感覚では、上着とズボンの布が同じほうが改まった服装に思えるが、フロック・コートやモーニング・コートのように別布のスーツが正装だった時代があります。そして20世紀初期、現在の形の幅タイが登場し、より軽快感のあるスーツ生地開発が進みました。
当時のスーツは、短い背広丈にワイド・ラウンデッド・ショルダーの肩、極端に広い胸幅が特徴的です。
色もピンクやラベンダー系などカラフルな色目を使う多かったのに対し、グレーとブルーへと変わってきたのもこの頃なのです。やがて時代はナチュラル・ショルダーへと移行しました。第一次大戦の影響もあってカーキ色の厚手綿布やコーデュロイのコート等が流行し、ナチュラルでスリムなシルエットが好まれるようになります。
1920年代、アメリカの経済成長は同時に市民のファッションにも大きく影響を与えました。
ビジネスマンが影響力を持つようになり、ゴルフやテニスなどのスポーツがポピュラーなスポーツとして注目を集め、1960年代にはアイビー・リーグ(アメリカ名門8大学のアメフトリーグ)の学生がヤングファッションとしてステイタスを築き上げ、大人気ファッションへと変化して行くのです。(これが所謂アイビーとかアメトラと言われるブームです)
1960年代後半、それまでダークトーン中心の男性ファッションに華やかさや色彩を取り入れる動き、ピーコック革命が起こります。それまで白一色だったシャツにもカラーバリエーションが増え、デザインも華やかになるなど、スーツスタイルがさらに幅広く変化していくきっかけになります。
そして、時代はデザイナーズブランドの時代へと移り変わります。1980年代にはイタリアファッションが注目されるようになり、元々根強かったサルトリア文化(素材や着心地を追求した仕立て屋文化)が台頭するようになりました。
イタリアファッションを日本に根付かせようとしていたのが服飾評論家でもある落合正勝氏。
著書は多数あるので、今日本で完全に根付いたイタリアファッションの源流を知りたい人は是非覗いてみてください。
(写真・画像引用先:Pinterest )
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是非チェックししてみてください。
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